ぼたんの独りごと  ホーム
1. 目覚めれば旅の身体だ夜明け前花の匂いを呼んでたいぬも   とうてつ

第一回目はツイッターで引用させてくれる方を募集した時に一番最初にいいねしてくださったとうてつさん。

うたの日に投稿されている中からいいなぁと思った一首引用させてもらった。

夜明け前、ということはまだ布団の中にいるのだろうか。

旅の朝という特別な、しんとした中にも高揚感のある空気が詠まれていると感じた。

最初で自分の体を「旅の身体」として客観的に見て驚いていておもしろい。

「いぬも」ということは犬も同じく旅の身体なのだろうか。いつもと違う珍しい花の香りに気づいて吠えたりしたのかも。

ただ、もう少し深読みすると、作中主体は実際には旅をしてないのかもしれない。

いつもと同じ部屋にいるにも関わらず季節の変わり目に、たとえば金木犀の花の香りに、

旅の途中であるかのように夢の中で錯覚したのかも。とても繊細な歌だ。

とうてつさんの歌はうたの日データベースにはまだ少なかったけれど、どれも独特のフレーズが入っていて印象的だった。

うたの日のお題「淋」より

2. ぼんやりと恐怖の大王待ちながら毎朝無精卵を割ってた   海月ただよう

「恐怖の大王」とはノストラダムスの予言に出てくる1999年に人類滅亡をもたらすはずの何かであった。

私の世代は「恐怖の大王」は小学生のころからテレビや雑誌などで何回も取り上げられており、

子供の頃はこのまま生きていれば必ず出くわしてしまうその大王とやらにその名の通り恐怖したものだった。

そして時は流れ、その年1999年である。当時のことを調べてみた。

町にはコギャル、非正規雇用の増加、椎名林檎もこのころか。流行語は癒しとかブッチホン(ってなんだっけ?)

まあ結果、とくに世界をがらっと変えるような恐怖の大王らしきものは来なかった。

そんな中、作中主体はパニックになるでもなくただぼんやりとそれを待っていた。しかも卵を割りながら。

この卵は無精卵で、どれだけ割ってもひよこは生まれない。これは恐怖の大王は来ないことの暗喩だろうか。

毎朝卵を割り続けるのは一見何気ない日常だが、この歌においては逆に世紀末的で不穏な感じが漂いまくっている。

恐怖の大王は来なかったが、確かに1999年とはまさに先の見えない日常が続くグレーがかった年であったと思う。

ちなみにこれはうたの日のお題が「好きな年」。それに1999年をもってくるあたり、策士である。やられたぁと思ってしまった。 

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