おみくじの結果は大吉や凶の下にさらに細かく「商売」「縁談」「転居」などの項目があり、それについてひとこと書かれている。
作中主体の引いた「吉」は大吉に次いで良い結果である、にもかかわらず「待人」(良い出会い)の項目は
ぶっきらぼう(?)に「来ない」と書いてあるのである。恐らく当人にとってはこれが一番重要な項目であったのだろう。
もし「待人 来る」とかせめて「待人 遅いが来る」だったら頬を切る風をひりひり感じることもなかったかも。
そういえば私も大吉を引いたにもかかわらず「勝負 負ける」と書いてあり「ほんとに大吉?」と確かめた記憶がある。
おみくじはそんながっつり信じているわけではないけど、
だからこそおみくじの中だけでも良いことが書いてあってほしいという願いも込められている歌なのだろう。
ちなみに今年の初詣でおみくじで「待人来ずだって~」などと家族と話していたところ、
近くにいた女性が「おみくじって、いいのがでるまで何度でも引いていいんだってよ!」と声をかけてくれた。
知らなかった!まあでも今回は「中吉」で、次がこれ以下だったら嫌なのでやめておいた。
みややさんの短歌は、現代の日常生活で「あれっ」と思っても敢えて言葉にしなかったもの達で溢れている。
例えばこの歌。
わからないツタヤとファミマが手を組んでポイントつけてくれる理由とか
サンクスの跡地にできたカレー屋の後のセブンの後の初霜
昔はTポイントはツタヤだけであったが最近はファミマでもTポイントをつけてくれる。
これは双方で利用可能なポイントだ。手を組んでいるように見える理由はもちろんビジネスのお話なのだろうが、
この短歌を読むとツタヤとファミマが擬人化されていて、なんだか友達同士のたわいないやり取りのようにも思えるのが楽しい。
そして案外そっちのほうが真理なのかもとも思えてしまう。
サンクスの跡地の歌も二転三転した後の初霜が効いていてとても美しい。芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出した。
うたの日のお題「待」より
2019年1月18日
24.生煮えのいちごの粒を口にしてこんなだったかあなたとのキス 木野 葛紗キスの味の比喩によくあるのが「レモン」である。しかし、実際レモン味のキスをした人の話は訊いたことがない。
甘酸っぱい初恋を爽やかに美化した表現なのだろうか?そうにしてもきっと唇が少し触れたくらいのものなのだろう。
筒井康隆は小説「七瀬ふたたび」の中で主人公の初キスを「とろりとした肉塊を口いっぱいに含んでいる感じの奇妙な快感」と描い
ていて、中学生の時「レモンよりこっちの方が本物らしいな」とどきどきしながら思ったのを覚えている。
同様に「生煮えのいちご」も、とてもリアル。生煮えのいちごはどろっとしてべとついていて、深い赤色だ。
イチゴジャムを作っている途中、あのきらきらと輝く美しい赤に惹かれて何度も味見をしてしまうことを思い出した。
ツンとした酸っぱさと強い甘みがジャムの熱と共にじわっと広がって、なんとも罪の味である。
レモンが恋に恋する少女のキスなら生煮えのいちごは大人になった少女のキスだ。
絶妙な表現によって、甘い余韻が残る歌である。
しあわせが集まるはずの家なので表札じゃない名前をつける
こちらは「表札じゃない名前をつける」ってなんだろうと気になる歌だ。
表札にある「鈴木」とか「佐藤」は幸せの集合体である家の名前にはふさわしくなくて、
もっと幸せらしい名前をつけたいということだろうか?と思って楽しくなった。
「セレニティ」とか「ラファエル」だろうか?(きっと違ういますね)
第23回与謝野晶子短歌文学賞 入選作品 より