一読してすぐに、このポテトサラダという野良犬に好感を持った。ひとえに「ぽてさらぽてさら」という擬態語によってである。
だって「ぽてさらぽてさら」なんて素敵すぎませんか?よぼよぼした足取りのちゃいろい優しい目をした老犬が目に浮かぶ。
そしてこの犬に「ポテトサラダ」という名前を付けてしまう作者のネーミンスセンスよ。
切なくなる短歌は多いが、ほのぼのとする短歌って案外難しいと思う。
狙っているのが透けてしまうと急にチープに思えてしまうからかもしれない。この歌を読むと本当にあたたかい気持ちになる。
ポテトサラダの連作を是非読んでみたいくらいだ。
その帯には「春の河川敷、このポテトサラダと一人の男の穏やかでユーモアにあふれた日々が始まる。」という予告を付けたい。
他に、涸れ井戸さんの下の短歌もとても気になった。
「オムライス」というすごく穏やかで明るいものを拡大すると鬼の目が現れるという、日常の落とし穴を感じさせてホラーである。
インターネットの怖さなのかもしれない。
涸れ井戸さんの短歌を読んでいると、涸れ井戸さんには目に見えない世界が見えているのか、などと思ってしまう作品が多い。
開錠は少し時間がかかるよと夜店の端で笑う虫売り
黄金の毛がゲレンデに落ちている股に何かの気配が過ぎる
うたの日「自由詠」より
2019年1月29日
26.運転手さん前の車を追いかけて そのまま抜いて海へ向かって 御殿山みなみ御殿山さんの短歌は時に圧倒的な強さがある。そんな歌を目にするたび、敵わないなぁと思ってしまう。
中でもこの歌は暗唱できるくらい好きな歌だ。
上の句はドラマでタクシーに飛び乗り犯人を追跡するときなどの常套句だ。しかし、下の句の展開で予想を一気に裏切られる。
前の車は競争を強いられる世界で、自分の前を走っている存在の象徴かもしれない。
もちろん作中主体はまだ前を走る車に追いつくことへの拘りもあるのだとおもう。
しかしその拘りを吹っ切るように、運転手に「海へ」と告げるのだ。
上の句と下の句の間の一字空けからその逡巡が感じられていい。
歌を声に出して読んだ時の命令形のリフレインも疾走感があっていい。
地平線の向こうに海の光が見えたようで、読後はカタルシスを得る。
私が御殿山さんに敵わない思うのは、ひたむきな生きざまが短歌に滲み出ていて、そのストイックさに心を打たれているからなのだ。
以下、御殿山さんの歌で鑑賞したかったものを四首に絞ってみた。どれも複雑な感情が明確に伝わってきて、
何か言いたくなってしまう。
うたの日お題「タクシー」より