ぼたんの独りごと  ホーム
27.(できていませんように)仏壇に手を合わせるとざわめいてくるわれの血液   未補

(できていませんように)で始まるこの歌。神様仏様には普通「家族が健康で過ごせますように」「受験がうまくいきますように」

「結婚がうまくいきますように」など「できますように」と祈るのではないだろうか。

しかし、ここでは「できていませんように」であり、読者はそこに不穏な気配を感じ取る。

そして下の句を読むと(できていませんように)の前に来るのはもしかして(赤ちゃんが)ではないだろうかと思い至るのだ。

 望まないタイミングでその可能性に直面した時「できていませんように」と思うことはあるだろう。

そしてそう思うことに「祖先への罪悪感」という感情はすぐには湧いてこないかもしれない。

しかし、仏壇に手を合わせるとき、つまり自分の先祖に向き合うとき、「子孫を残すことが代々の願いだったとしたら「できていませ

んように」と考えることは罪なのではないだろうか?」と、先祖たちの声ならざる声を身体の血液(遺伝子?)が感じ取りざわっとし

たのかもしれない。

仏壇ではなく、神棚だったらこの歌は成り立たない。現代において子供を産む意味を問う優れた歌と思った。

未補さんの歌は短歌の形式をとっているが、現代詩を読んでいるような感覚だ。

言葉に敏感な方だと思う。「りんご」という言葉があって、匂い、響き、リズム、手触り、暗喩、などの効果を分かった上で使ってい

る気がする。あるいは直観的に感じ取っているのか。未補さんの短歌は彼女の精神世界の曼荼羅のようでとても魅力的なのだ。

 

水草のように浴槽たゆたって裸のままで洗うマフラー

 

ミルクという金魚の寝顔にひかり差し翌朝ミルクは流れて死んだ

 

わたしの目さかさの睫毛この街にいまから月の中身が降るよ

 

にんげんの鎖骨が貨幣になる国で小鳥を買ったとても懐いた

 

星月夜わたくしの紙魚が滲んでわたくしを喰いわたくしになる

 

夜にだけ底がなくなる水たまり蛍の籠を抱え飛び込む

うたの日「願」より

 2019年2月12日

28.無理矢理に押し倒されたい晩もあり岡村孝子は愛ばかり歌う   一ノ瀬礼子

岡村孝子といえばすぐに「はぐれそうな天使」が浮かぶ。大好きな歌だ。

「恋したら 騒がしい風が吹き はぐれそうな天使が私のまわりであわててる」という歌詞を、

彼女は媚びるような笑顔は一切見せず、むしろ無表情といってもいいくらいの顔で歌う。

良く伸びる澄んだ歌声は前向きで、清純で、少し不器用なくらいの強い意志を感じさせて、こんな女性になれたらと憧れる。

そんな岡村孝子は1990年代、OLの教祖とも呼ばれるくらい若い女性に支持されたという。

さてこの歌は、「(岡村孝子の歌うような愛がなくても)無理矢理に押し倒されたい」ということだろうか。

高尚な愛の世界に少しつかれてしまった女性の溜息が聞こえるようだ。

実際の恋愛は精神的な愛だけの世界では終わらない、嫉妬や打算、肉体的な欲望もある。

そんな欲望の世界に落ちてしまわないように凜と生きてきたのだろう。そしてそんな彼女に恋人も紳士的なのだろう。

しかし、ふと考える。愛に潔癖であるために着た鎧を取っ払って欲望に身を任せるような、そんな夜があってもいいではないか。

コインの表裏のようにどちらも本物なのだからと。

一ノ瀬さんの短歌はいつも独特な面白いフレーズがあって、それが印象に残っているものが多い。

彼女のユーモアは酸いも甘いも知り尽くした余裕から来るものなのだろうか。

昔から羽二重餅は好物ゆえ三軒さがして母の元へと

 

見るからにおとなしそうな顔してて進入禁止の道ばかりゆく

 

TLのながれのなかに探してる温泉マーク、温泉マーク

 

見せ過ぎた心は拾い寄せられない女同士のしあわせくらべ

 

離婚後に他人となれば許せたりして時にお茶などしています

 

うたの日お題「無理」より

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