ぼたんの独りごと  ホーム
3. 粉チーズ切れてたことに気づくのはいつもパスタを盛り付けたあと   諏訪灯

粉チーズって報われないと思う。粉チーズを使う機会ってミートソースやナポリタンを食べる時くらいだし、

しょうゆや味噌と違って無いと困るものでもないからついつい買いそびれてしまうのだ。

しかも上の歌のように気づくのが盛り付けた後だから始末が悪い。そんなことが多々あって安い時に粉チーズを買っておいても、

そんなにミートソースを作るわけでもなく賞味期限が切れてしまっていたこともあるし、

たまに作っても食べ終わってから「今日は冷蔵庫に粉チーズあったんだった!」なんて気づく時もある。

粉チーズには大変申し訳ないことをしているのだ。この歌を詠んで粉チーズの悲哀を知ってしまった。

諏訪さんの歌の良さは何と言ってもその観察眼である。その眼は「着たい服と着てみたい服の違い」であったり「折りたたみ傘の折り

目の違い」に気づいてしまう。そういうのに気づくのは毎日を丁寧に過ごしているからこそで、そんな諏訪さんの言葉はとても実感が

あり信頼できる。短歌は作者と切り離して読むべきなのだろうが、諏訪さんに限ってはツイッターで見かけるご飯や娘さんのつぶやき

は諏訪さんの短歌をより深く味わわせてくれる助けになっていることは確かなのだ。

うたの日のお題「チーズ」より

4. 偽者の私から今日百万が要るとの電話私が受けた   深水遊脚

偽物の私なんてドッペルゲンガー?それとも謎かけ?一瞬ナンセンスな歌かと思うがすぐにこれは詐欺の手口だと気づく。

しかし実は「本物の私」だって百万要るかと聞かれれば「要る」と答えるだろうし、そうなると電話の向こうにはもう一人「私」が

いてそいつと会話しているようだな、という自嘲の歌にも思える。

偽物の私も本物の私も百万円は欲しいところが何となく相手に共犯者のようなシンパシーまで感じていそうで面白い。

最後の「私が受けた」という唐突なオチも、短歌で質の良いショートコントを味わったようだった。

水さんの作品を今回まとめて色々読んでみた。つらい状況や愛の最中にあってもどこか覚めていてユーモアがある。

来た道をきっちり辿る緻密さで語られる愛すこし怖いな

証言を終えてうつむく味方にはなりきれぬ性 拉麺啜る

電車では各駅停車が「普通」です少しゆっくり歩きませんか

なんだか真面目なのに、それが短歌のお茶目さにつながっているような気もする。

うたの日のお題「百万円」より 

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