この歌の主体は普段はもの静かなんじゃないかなと思う。あるいは今静かな場所にいるのかもしれない。そうでなければ「今日は話は
ずんだな」なんて特に意識しないので、金平糖を「おしゃべりが弾んだような味」なんて表現もしないと思うのだ。
金平糖って甘くてカラフルですこし軽率で少女たちのおしゃべりによく似合う。もしかしたら片思いの相手の教えあっこをしているの
かな、なんて想像も膨らむ。そして後になってふと「この感じ、あの時のおしゃべりみたい」なんて心を温めている姿が浮かぶ。
大人になると仕事や近所の付き合いがばかりで学生時代の友人みたいに話が弾む機会は案外少ない。たまに趣味が合って盛り上がった
りすると嬉しくて何度も思い出してしまう。そんなちょっとしたギフトを金平糖の食感に喩えるのって、とても柔らかな感性だなと思
った。他にもさくらちあさんはこんな素敵な歌も詠まれている。
この世界すべてと握手できそうだ呼吸するよう歌があふれて
ああ、俳句や短歌の作り始めの頃ってこんな風だったな、と思い出させてくれる歌だ。
続けていると人と比べて落ち込んだり、スランプに陥って辞めたくなったりする。
でもそんなときは初心に帰って、世界と握手するような気持ちでまた向かい合いたいなと思った。
ラーラさんの俳句は、どこか異国の夜の香りがする。この句もそうで、私はルネサンス期に花開いた芸術の解放をかすかにイメージし
た。無花果の原産は古代メソポタミアで、エジプトやローマ帝国などの地中海世界ではもっともありふれた果実であったという。掲句
は恐らく聖書のアダムとイブが禁断の果実を食べたあと、無花果の葉で局部を隠した話を下敷きにしているのだろう。
それにしてもなんという人間賛歌であろうか。この句をツイッターで見かけたときは驚きと喜びを同時に感じたのを覚えている。
「秘部」とは1.秘密の部分という意味と2.人間の身体の秘すべき部分(性器)の二種類があるが、今回は2.の意味で捉えた。陰部や
恥部などネガティブに表現される部分を敢えて「これほどに美しき」と堂々と褒め称えているのだ。
ウィキベディアによると、無花果は生命力の象徴とされ、その樹液は母乳や精液になぞらえられるともいう。人間は本来生命力にあ
ふれており、神と同様に美しかったということを思い出させてくれる句だと思った。
ラーラさんは型を守りつつ、大胆な句を詠まれる方で、句集を出されたらぜひ読んでみたいと思っている。他にも物語の見える句がと
ても魅力的だ。
革命の起こらぬ国や鳥渡る
陸奥の闇に蒸されて踊りけり
蜩や恩師の妻となりし今