「出会って2ヶ月だね」っていうのは良くあると思うのだが、「愛されることを怖がらなくなって」2ヶ月っていうのは初めてだ。
二人が付き合い始めたのはもっと前で、2ヶ月前までは主体は愛されることに不安があったのかもしれない。
愛されることの怖さってなんだろう?と思う。「自分でいいのか?」「相手が好きなのは本当の自分か?」「相手にがっかり
されるのではないか?」この歌は恋人へ向けての言葉だと思うのだが、怖がっている主体も含めてすべて受け入れてくれるような
愛に気づいたのが2ヶ月前なのかもしれない。何があったのだろうと想像が膨らむ。
付き合い始めの頃はお互い探り探りで、本当の始まりは怖がらずに愛されるところからなのかもしれないと思った。
もう一つ好きな歌があった。
氷山みたいな氷が浮かぶ麦茶の向こうに見える夏空
氷を氷山に見立てたことでグラスの中の小さな景から、北極(あるいは南極)の大きな青空の景へ視点が広がってゆく。
その開かれてゆく感覚がとても気持ちいい。氷山に見えるということは、この氷は製氷皿で作るキューブ型の氷ではなくてごつごつし
たロック型の氷なのだろう。中学生の頃、夏休みの宿題に疲れて麦茶の氷が溶けていくのをじっとみていたときのことを思い出した。
枯山水で庭に宇宙に感じるみたいに、氷を海に浮かぶ氷山に見立て、その氷に乗っている人物になりきっていた。
青空は平等だから、きっと氷山に乗った私が見ていた空も、狭い自分の部屋の窓から見える空も繋がっているのだろう。
真夏の白昼夢のような歌である。
あみもの第十一号「君に捧げる愛の唄」より
2018年11月26日
16.耳たぶの硬さはしらない 白玉をすこし長めにくちびるに置く 高野蒔エロいのに上品な歌を詠まれる方だな、と思った。初めの「しらない」という言い切りが潔い。
「耳たぶの硬さ」というのは白玉を作る時に必ずと言っていいほど使われる比喩だが、実の所曖昧なので適当に作っている。
作中主体はなんとそれを逆手にとって、白玉を使って逆に耳たぶの硬さを知ろうとしているのだ。潔いし可愛いしエロい。
私の妄想の中ではこの主体は少し世間知らずのお嬢様なのだが、好きな人の耳たぶを想像しながら白玉をくちびるに置いているのかも
と思うと、うーんドキドキしてしまう。
さて、私が短歌に触れているのは主に「うたの日」で、ここでは投票時間が限られているので慌ただしく選をしてしまうことが多い。
この機会に高野さんの歌をじっくり詠ませていただいて、すっかりファンになってしまった。
高野さんの歌を読んでいると、意味よりも歌の下にある風景や空気や匂いがあって、それに触れているような気がしてくる。
頭で理解するのではなく、体が理解するような歌。みなさんは、どうですか?
花の塵また見届けて理科棟の天文台は白く寂し
逆立ちをしたまま景色を見るようにきみの話を解ろうとする
ほの暗い博物館でわたくしの生命線をさかのぼる拇指
清寂、と思う あなたに磨かれた跡のかすかに分かるトイレで
うたの日のお題「玉」より